藻琴山の自然

更新日:2023年06月27日

 藻琴山は、東藻琴地区の南側にそびえる標高1000メートルの山です。屈斜路湖の北に位置することから、アイヌ語では「トエトクシペ(湖の奥にある山)」と呼ばれます。

 藻琴山は、屈斜路カルデラの外輪山北壁にあたります。カルデラとは、火山活動によって出来た巨大な窪地のことです。初期の屈斜路カルデラは約160万年から100万年前に形成され、藻琴山はその名残りと考えられています。屈斜路カルデラは約40万年から4万年前に大規模噴火が繰り返されました。特に約12万年前の噴火に伴う火山灰は全道のほぼ全域に降ったとされています。このような経過をたどって約3万年前に出来たのが屈斜路湖で、屈斜路湖は東西2キロメートル、南北2キロメートル、平均水深29メートルにおよぶ日本最大のカルデラ湖です。

 藻琴山を含む屈斜路カルデラ周辺地域は、阿寒摩周国立公園に指定されています。

女満別住吉地区から望む秋の藻琴山の写真の説明をしているイラスト

藻琴山登山

 藻琴山は登山口から頂上まで1時間を要せず登ることができ、トレッキング感覚で気軽に登山を楽しめます。このことから、オホーツク管内では、「登山を始めるなら、まず藻琴山から」と言われるほど、子どもから高齢者まで幅広い層に親しまれています。

 登山コースは、「東藻琴コース」「小清水コース」の2コースがあります。気軽に登れる山でありながら、登山道周辺には貴重な高山植物が多数見られます。なお、登山道から外れて歩いたり、動植物を持ち去ったりすることは、厳に慎んでください。

東藻琴コース登山道

 道道網走川湯線の「藻琴山登山道入口」の看板のある場所から、林道に入ります。なお、「藻琴山登山道入口」の看板は小清水コース登山道入口にもあるため、東藻琴方向から来た場合は1本目の看板、川湯方向から来た場合は2本目の看板が東藻琴コース入口です。

 少し進むとエゾシカ侵入防止ゲートがあります。施錠されていないため自分で開けて通行できますが、通行後は必ずゲートを閉じてください。
 6合目登山口までは自動車で行くことができます。普通乗用車以下のサイズであれば8合目登山口まで自動車で行くこともできますが、道幅が狭いため通行の際はご注意ください。
 東藻琴コース8合目に立つ山小屋「銀嶺荘」の脇では、名水「銀嶺水」が湧き出しています。
 8合目から頂上までは、約30分の道のりです。東藻琴コースは山頂付近までダケカンバ林に覆われており、全体的に展望や高山植物はあまり楽しめませんが、小清水コースよりも短時間で登頂できます。
 山頂前の広場に出ると、小清水コースと合流します。

東藻琴コース8合目にある湧水「銀嶺水」の写真の説明をしているイラスト
山小屋「銀嶺荘」とバイオトイレの写真の説明をしているイラスト

銀嶺水の場所

国設藻琴山スキー場跡の写真の説明をしているイラスト

東藻琴コース6合目の場所

藻琴山登山道東藻琴コースについて説明をしているイラスト

小清水コース登山道

 道道網走川湯線の峠を登りきったところにある「小清水高原」の看板から、つづら折りの道を登りきった先にドライブイン「ハイランド小清水725」があります。この駐車場脇に登山道があります。山頂まで約1時間を要しますが、展望と高山植物を存分に楽しむことができます。
 約20分登ると、日本で一番遅く咲く桜とも言われている「天涯の桜」があります。
ここから少し上ると尾根に出ます。樹高の低いハイマツ林のため展望を楽しめるほか、多彩な高山植物も楽しめます。
 9.5号目には、奇岩「屏風岩」があります。藻琴山で唯一の岩場ですが、普通に歩いて登ることができます。
 ここから数度のアップダウンを繰り返すと、山頂前の広場に出て東藻琴コースと合流します。

小清水コースの「天涯の桜」(チシマザクラ)の写真の説明をしているイラスト
ウコンウツギ、ゴゼンタチバナ、ミツバオウレン、ミヤマオダマキなど4種類の高山植物の写真の説明をしているイラスト
屏風岩について説明をしているイラスト

藻琴山山頂

 山頂前の広場から山頂までは一本道です。
 山頂からは360度の展望が楽しめます。特に、屈斜路湖が眼下に広がる景観は圧巻です。なお、山頂は狭いので、混雑時は他の方と譲りあって展望を楽しみましょう。

屈斜路湖を一望できる藻琴山頂上の写真の説明をしているイラスト
藻琴山山頂からの女満別市街地の眺めの写真の説明をしているイラスト
藻琴山山頂からの東藻琴市街地の眺めの写真の説明をしているイラスト
藻琴山から見える雲海の写真の説明をしているイラスト

山頂には一等三角点があるほか、神職として藻琴山の観光発展と登山者の安全を祈願してきた山中源吉さん(1884-1960)を讃える石碑があります。石碑裏面には、次のような碑文が刻まれています。

山中源吉師之碑

山中源吉師明治十七年生明治三十二年網走ニ移住爾来六十有余年只管
信仰ニ徹シ慈善事業ニ師ノ生涯ヲ捧ゲ昭和三十五年九月三十日天寿ヲ
全フス 師ハ若年ニシテ神職ニ付キ後ニ大教正ノ栄誉アル称号ヲ賜ワ
ル風ニ操守堅実悟道円熟ノ人格者タリ其ノ徳望篤キコト汎ク世人ノ渇
仰ヲ深ム 師ハ此ノ地大観光地タルノニ大偉観ヲ呈シ将来世ノ視目ヲ
集ムルコト疑イナキト既ニ大正十四年之ヲ予言シ以テ同年五月吉日当山
頂ニ役行者役小角ヲ刻ミタル石造ヲ建立シ観光地タルノ発展ト併セテ
登山者ノ無事安穏ヲ祈願ス 衣而有志一同生前ニ於ケル師ノ偉業ヲ讃
エ当山ノ永遠ナル安穏ヲ師ノ御霊ニ祈リ茲ニ此ノ石碑ヲ建ツ
司法書士吉田勉文撰
中島春光謹刻
昭和三十六年九月吉日有志一同建之
碑文の現代語訳
山中源吉先生は明治17年(1884年)に生まれ、明治32年(1899年)に網走市に移住して以来、60年余りにわたり信仰に徹し、慈善事業にその生涯を捧げ、昭和35年(1960年)9月30日に天寿を全うした。先生は若くして神職につき、後に大教正の栄誉ある称号を賜るほどに、堅実に仏の教えの神髄を悟るという志を固く守って変えない、円熟の人格者であった。徳が厚く人々から慕われ、広く世の人たちの信仰を深めた。先生は、この地が大観光地となるであろう素晴らしい眺めをもっており、将来世間の注目を集めることは疑いないということを、すでに大正14年(1925年)に予言していた。このため、同年5月吉日、当山頂に役行者「役小角」を刻んだ石像を建立し、観光地としての発展と併せて登山者の無事平穏を祈願した。よって有志一同は、生前における先生の偉業を讃え、当山が永遠に平穏であることを先生の魂に祈り、ここにこの石碑を建てる。
司法書士吉田勉・文面作成
中島春光・石碑文字彫刻
昭和36年(1961年)9月吉日有志一同これを建てる
脚注
用語 読み 意味
爾来 じらい それ以来
只管 ひたすら ひたすら
大教正 だいきょうせい 教導(神道普及のために明治政府が制定した宗教官吏)のうち、最高位の階級
操守 そうしゅ 志を固く守って変えないこと
悟道 ごどう 仏の教えの神髄を悟ること
徳望 とくぼう 徳が高く人々から慕われること
汎ク あまねく 広く
渇仰 かつごう 仏を深く信じ仰ぐこと
偉観 いかん 素晴らしい眺め
役小角 えんのおずぬ 修験道の開祖と言われる飛鳥時代の呪術者
依而 よって よって
茲ニ ここに ここに

 

藻琴山山頂の石碑について説明をしているイラスト

藻琴山頂上の場所

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