藻琴農学校

更新日:2023年03月31日

実業補習学校とは

 義務教育の尋常小学校6年終了後、高等小学校や中等教育学校に進学せず、勤労に従事する青少年の教育機関として設けられていた実業補習学校は、特に農村部における農業補習学校の隆盛をもつて社会教育の一環として需要を満たしていた。

 これは、実業補習学校の教育目的が他の実業学校(工業学校・商業学校・農業学校等)とは性格を異にしており、概に職業に従事している青少年に対する実務教育機関としての役割を担っていたことから、多くの実業補習学校は小学校に付置され、また、明治末期から大正年間にかけて行われた青年団の振興政策とリンクし、これら勤労青少年の社会教育機関として定着していったことによるものと思われる。特に農村部においては、現代と違い機械化も進んでおらず、人手の欠かせない農繁期などを踏まえ、中等教育機関へ進学することができなかった事情とも相まって発展した。実業補習学校と青年訓練所は、教育を受ける年齢層が一部重なり、一部生徒は「二重学籍」状態であることから。1935年(昭和10年)青年訓練所と実業補習学校を統合する形で、青年学校へと発展的に解消した。

 青年学校は当時の義務教育機関である尋常小学校6年を卒業した後に、中等教育学校(中学校・高等女学校・実業学校)に進学をせずに勤労に従事する青少年に対して社会教育を行っていた。青年学校が設置される前は、実業補習学校と青年訓練所がこの役割を担っていた。

【出典】

文部科学省「学制百年史」より

網走町立藻琴農学校の設立について

大正15年3月22日、北海道庁指令第870号で、網走町立藻琴農学校が設立された。

  1. 名称 :網走町立藻琴農学校
  2. 修業年限 : 二カ年
  3. 開設時期 :学年=自毎年12月~至翌年2月(全日制)、・実地指導=自毎年4月~至11月(週1回)
  4. 教科:修身、国語、数学、法制及び経済、農業
  5. 入学資格 : 高等小学校第二学年卒業程度
  6. 授業料: 月一円

 これは、実業補習学校令に基づくもので、網走町内農家子弟の教育の場として発足したもので、東藻琴尋常高等小学校の一部を使用し、大正15年10月20日付発令の沢西武雄教諭心得が中心となって教育に当たった。沢西武雄氏は、農学校勤務だけではなく、青年学校教諭として、また町農会技手としての立場から、農業技術の指導にも努力を続けた。特に本地域の香料ハッカ栽培、その他薬草栽培についての貢献は多大であった。

 藻琴農学校設置とともに、部落部長を役員とする同校後援会が創立された。同会の努力により施設の整備が図られたが、専用校舎は、藻琴関係部落の寄付により、狩野幸大が落札して新築し、大正15年12月1日開校式を挙行した。当時の生徒数は1年生28名であった。

 沢西教諭の熱心な技術指導と、小島校長、引き続き逢坂校長の着実な管理運営により、農村青年唯一の就学の場として、中堅農家子弟の育成に成果を上げた。

 昭和10年4月1日、青年学校令が施行され、これまでの青年訓練所と、実業補習学校の性格を統合した青年学校の設置となった。このため本校、昭和10年3月31日限り、関係各方面からおしまれながら閉校した。

【出典】

東藻琴村史89ページ・91ページ・92ページ

藻琴農学校での授業風景写真を説明するイラスト

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