東藻琴芝桜公園の歴史

更新日:2023年08月29日

 畑作農家だった中鉢末吉さんは、終戦直後、亡き姉が留辺蘂町(現北見市留辺蘂町)から持ってきたひとつかみの芝桜をこつこつと育て、自宅に10アールほどのミニ芝桜公園を作りました。

 その見事さから、中鉢さんは昭和52年(1977年)に藻琴山温泉管理公社から「芝桜で村の憩いの場を作ってほしい」と、芝桜公園の造成を要請されました。中鉢さんは離農して温泉管理公社の職員に転身し、小高い丘を芝桜で埋め尽くす公園づくりに邁進しました。

 木を伐採し、笹を刈り払い、根を掘り起こし、土地を耕し、苗を一株ずつ植える…。この作業を、中鉢さんはたった一人で延々と続けました。急斜面のため機械は使えず、すべて手作業でした。1年に1ヘクタールほどのペースで開墾を進めていき、平成4年(1992年)には原野だった丘が8ヘクタールのピンク色の丘に変貌を遂げました。

1970年の末広荘の写真について説明しているイラスト
芝桜植栽開始が始まった直後の芝桜公園の航空写真について説明しているイラスト
2000年ころの芝桜公園の航空写真について説明しているイラスト
鳥居と山津見神社と夫婦白樺について説明しているイラスト
山津見神社について説明をしているイラスト

山津見神社の場所

 植栽が終わっても、雑草取りなどの花の手入れは決して終わることはありません。中鉢さんは平成4年(1992年)にいったん引退しましたが、中鉢さんの引退とともに急速に花が荒れていきました。このため、やむなく中鉢さんに復帰していただくと、ようやく花の状態が回復しました。花たちは、中鉢さんだけにしか心を開こうとしなかったのかもしれません。

 中鉢さんは、他の職員たちに花の扱い方を伝授したのち、平成11年(1999年)に2度目の引退をしました。今度は、もう復帰しなくても大丈夫でした。

 中鉢さんは平成21年(2009年)7月7日に永眠されましたが、その思いは今も地域に受け継がれています。

芝桜公園の生みの親である中鉢末吉さんにガイドの女の子がインタビューしているイラスト

 花の整備が進むにつれ、施設やイベントも、徐々に充実されていきました。

 昭和59年(1984年)から開催されている「ひがしもこと芝桜まつり」は、毎年多くの観光客でにぎわう大イベントです。令和6年(2024年)には第40回の節目を迎える予定です。

 平成に入って以降は、利用期間の延長による集客増を図るとともに、村内各種施設と連携した体験型観光を目指し、新たにイベントステージや簡易オートキャンプ場を設置しました。

 また、大空町誕生後には温泉施設などの老朽化した施設を撤去し、そこにも芝桜を植栽することで、植栽面積を拡張しました。現在では植栽面積は10ヘクタールに及んでいます。

ジャンボすべり台について説明しているイラストと撤去後の写真
ジャンボ滑り台の細部について説明をしているイラスト
歌謡ステージについて説明しているイラスト

芝桜公園屋外ステージの場所

ドリームハウスについて説明をしているイラスト

ドリームハウスの場所

芝桜公園キャンプ場について説明しているイラスト

芝桜公園キャンプ場の場所

東藻琴芝桜公園年表

和暦

西暦

内容

昭和52年

1977年

中鉢末吉が離農し、藻琴山温泉管理公社職員として芝桜の植栽を開始

昭和55年

1980年

ジャンボすべり台完成

昭和58年

1983年

南斜面に村のマークを植栽。西斜面の植栽開始

昭和59年

1984年

「ノンキーランド芝桜まつり」開始

平成元年

1989年

西斜面にノンキーマーク(牛のマーク)を植栽

平成4年

1992年

西斜面の植栽を終え、8ヘクタールになる

平成21年

2009年

老朽化した施設を取り壊して芝桜を植栽し、10ヘクタールになる

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