東藻琴村営軌道の歴史

更新日:2023年06月19日

 かつて東藻琴には、東藻琴村営軌道という汽車が走っていました。
 東藻琴村営軌道は、見た目は鉄道に似ていますが、鉄道ではなく殖民軌道(簡易軌道)です。殖民軌道(簡易軌道)とは、かつて北海道で見られた軌道の一形態で、旧北海道庁が開拓民の入植地における交通の便を図るために拓殖計画に基づいて建設したものです。道路よりも建設費や維持管理費が安価に抑えられるため、大正14年(1925年)から昭和47年(1972年)まで北海道内各地に存在していましたが、現在は全て廃止されています。当初は殖民軌道という名称でしたが、昭和17年(1942)以降は簡易軌道という名称に変わりました。

 東藻琴村営軌道は、昭和10年(1935年)10月に東藻琴市街~藻琴駅間の15.2キロメートルで開通し、昭和24年(1937年)には山園までの10.222キロメートルが開通し、昭和28年(1949年)には東洋までの7.48キロメートルが開通しました。
 軌道のあった場所は現在の道道網走川湯線とほぼ並走しており、東藻琴停車場は現在の網走観光交通株式会社本社付近にありました。なお、網走観光交通株式会社の前身は、村営軌道を運営していた藻琴線運行組合です。

木材や農産物の運搬が主目的で、乗客は便乗の形でした。時速12キロメートル程度でゆっくりと走行するため、藻琴から東藻琴までの道のりには1時間余りを要しました。それでも、歩くよりはずっと便利だったので、当時の住民には貴重な交通手段でした。

乗車券には「乗車中に起きた事故一切は組合で責任をもちません」と印刷されていましたが、幸いにも事故は1件もありませんでした。ただし、連結器のピンが外れてトロッコが置き去りにされたり、列車が坂を登れず立ち往生するといったトラブルはしばしば発生しました。利用者はそういったトラブルには寛容だったので、列車が坂を登れないときは乗客が降りて並走することで荷を軽くし、無事に坂を登りきってから再度乗車していました。 


 その後、道路網の整備が進んだことにより、昭和36年(1961年)には藻琴~東藻琴間が廃止され、昭和37年(1962年)には福山~東洋間が廃止されました。最後まで残っていた東藻琴~山園間も昭和39年(1964年)3月に廃止され、東藻琴村営軌道は約30年の歴史に幕を下ろしました。

東藻琴村営軌道詳細

和暦

西暦

内容

昭和10年

1935年

東藻琴市街~藻琴駅間の15.2キロメートルが運用開始。北海道庁の直営だが、事実上の運営者は北海道庁殖民軌道藻琴線運航組合。

昭和12年

1937年

東藻琴市街~山園間の10.222キロメートルが運用開始。

昭和24年

1949年

福山~東洋間の7.48キロメートルが運用開始。

昭和28年

1953年

「北海道簡易軌道藻琴線」へ改称。殖民軌道から村営軌道へ移管するが、事実上の運営者は引き続き藻琴線運航組合。

昭和36年

1961年

東藻琴~藻琴駅間の運用廃止。

昭和37年

1962年

福山~東洋間の路線廃止。

昭和39年

1964年

全線廃止。

  

1935年の東藻琴停車場の写真の説明をしているイラスト
村営軌道の客車の写真の説明をしているイラスト
東藻琴村営軌道路線図

 東藻琴村営軌道の各停車場を、藻琴方向から順番にご紹介します。
 なお、一般に殖民軌道(簡易軌道)の停車場は、バスの停留所のような簡易な設備しか設けられませんでした。東藻琴村営軌道でも、大半の停車場には駅舎などの建物はありませんでした。現在では停車場の跡はほぼ何も残っておらず、かつて停車場があった場所は非常に分かりにくくなっています。

西倉停車場

 藻琴方向からやってきた軌道は、道道網走川湯線の西側を並走し、東藻琴に入って最初の停車場である西倉停車場にたどりつきます。

西倉停車場があった場所を説明しているイラスト

東藻琴停車場

 西倉停車場を出た軌道は、そのまま道道網走川湯線の西側を並走し、軌道事務所がある東藻琴停車場にたどりつきます。

東藻琴停車場があった場所を説明しているイラスト
1950年代の東藻琴停車場の様子について説明をしているイラスト

上東停車場

 東藻琴停車場を出た軌道は、道道網走川湯線の西隣(東藻琴総合支所の東側)を走る町道東藻琴8号線の上を走行し、道道網走川湯線にぶつかると斜めに走る道道を横切って道道南側を並走し、上東停車場にたどりつきます。
 町道東藻琴8号線は、現在も軌道の面影がわずかに残る場所です。

軌道の面影が現在も残る町道東藻琴8号線の現在の様子について説明しているイラスト
上東停車場があった場所を説明しているイラスト

宮前停車場

 上東停車場を出た軌道は、そのまま道道網走川湯線の南側を並走し、道道が南に曲がると道道を横切って西側を並走し、宮前停車場にたどりつきます。

宮前停車場があった場所を説明しているイラスト

末広停車場

 宮前停車場を出た軌道は、道道網走川湯線を少し南下したあと、町道末広107号線(西3線)の東側を並走し、ほぼ直角に左折して町道末広117号線(南28号線)の北側を並走して東へ進み、再び道道網走川湯線にぶつかるとほぼ直角に右折して道道東側を並走して南へ進み、、末広停車場にたどりつきます。

末広停車場があった場所を説明しているイラスト

福山停車場

 末広停車場を出た軌道は、道道網走川湯線の東側を並走して南へ進み、道道が東側へカーブする箇所で道道を横切って道道西側を並走し、福山停車場にたどりつきます。
 ここで路線が山園方向と東洋方向に分岐します。

福山停車場があった場所について説明をしているイラスト

山園停車場

 福山で分岐した軌道は、道道網走川湯線の西側を並走したのち、芝桜公園の南側付近で道道を横切って道道東側を並走すると、終点・山園停車場にたどりつきます。

山園停車場があった場所を説明しているイラスト

東洋停車場

 福山で分岐した軌道は、東洋川の東側に沿って走行し、もうひとつの終点・東洋停車場にたどりつきます。

1949年11月に撮影された東洋沢支線の工事の写真の説明をしているイラスト
東洋から木材を運搬している様子を写した写真の説明をしているイラスト
東洋停車場があった場所を説明しているイラスト

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